「売り上げが伸び悩んでいるけど、どうすれば改善できるのかな…」多くの経営者はそう考えます。ですがこの記事で扱うのは、その正反対の話です。あえて売上を下げる、あるいは伸ばさないという経営判断が、実際に企業の価値を高めた例が存在します。
もちろん、これは「売上を落とせば必ず成功する」という話ではありません。むしろ逆で、正しく理解しないまま安易に真似をすると、ただの機会損失に終わります。この記事では、実際に「あえて売上を追わない」判断をした企業の実例と、その判断がなぜ機能したのか、そしてどこに落とし穴があるのかを解説します。
「売上を追わない」という戦略には名前がある
マーケティングの世界では、需要をあえて抑制する活動を「デマーケティング」と呼びます。1971年、マーケティングの権威フィリップ・コトラーとシドニー・レヴィが『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌に発表した論文で初めて提唱した、50年以上前から存在する古典的な考え方です。
デマーケティングとは、供給が需要に追いつかない場合や、ブランドの希少価値を守りたい場合に、価格を上げたり、あえて入手しにくくしたりして、需要そのものを意図的にコントロールする活動を指します。「売れすぎる状態を調整する」「安易な売れ方を選ばない」という発想だと考えると分かりやすいでしょう。
混同してはいけないポイント
ここで重要な注意点があります。デマーケティングが機能するのは、商品やサービスにすでに十分な需要と価値が存在している場合に限られるということです。需要がそもそも乏しい会社が「あえて売らない」ふりをしても、それはただ売れていないだけです。この違いを取り違えると、次に紹介する事例の教訓を誤って受け取ってしまいます。
実例1:パタゴニアの「このジャケットを買わないで」
デマーケティングの代表例としてもっとも有名なのが、アウトドアブランドのパタゴニアです。同社は2011年、米国最大の商戦日である感謝祭翌日の「ブラックフライデー」に合わせ、自社の看板商品であるフリースジャケットの広告に「このジャケットを買わないで」という見出しを掲げました。
広告本文では、その1着の製品を作るためにどれだけの水・エネルギー・二酸化炭素が消費されるかを具体的に説明し、「本当に必要でなければ買わないでほしい」「壊れたら修理して長く使ってほしい」というメッセージを打ち出しました。目先の販売数を追う代わりに、環境負荷への誠実さを前面に出したのです。
結果として、このキャンペーンはメディアで大きく取り上げられ、パタゴニアというブランドへの信頼と共感を大きく高めました。「売るな」というメッセージが、かえってブランドの独自性を際立たせ、長期的な支持につながった事例です。
実例2:世界一のレストランが、絶頂期にあえて閉店を選んだ理由
スペインのレストラン「エル・ブジ」は、独創的な分子ガストロノミー料理で知られ、世界の有名レストランランキングで通算5回1位を獲得するなど、世界一の呼び声が高い名店でした。しかし、シェフのフェラン・アドリアは2011年、その絶頂期に自らレストランを閉店させるという決断を下します。
理由は単純な経営不振ではありません。当時のエル・ブジは、年間200万件を超える予約希望が殺到する一方、実際に提供できる席数はごくわずかで、多くの希望者を断り続けなければならない状態でした。アドリア氏は「今のやり方」で規模を追い続けることをやめ、レストラン営業を一度終わらせて、新しい料理を研究する財団として生まれ変わる道を選びました。売上や来店者数という数字よりも、自分たちが本当にやりたい創造的な活動を優先した判断です。
「あえて動かさない」判断が裏目に出かけた例:鳥貴族の値上げ
ここまでは、あえて需要を抑えた、あるいは規模を追わなかった成功例です。一方で、価格という「売上に直結する変数」を動かした結果、一時的に大きな逆風にさらされた例も見ておく必要があります。
焼き鳥チェーンの鳥貴族は、2017年10月、28年間守り続けてきた「全品280円」という均一価格を298円へと値上げしました。値上げ直後から既存店の客数は前年を大きく下回り、2018年7月期には既存店売上が前年比マイナス11.2%にまで落ち込み、会社は通期の経常利益予想を22.8億円から14.3億円へと下方修正する事態になりました。
興味深いのは、この一件がその後の分析でどう位置づけられたかです。鳥貴族が客数減少の原因を調べたところ、「値上げをしたから来なくなった」という顧客は実際には少なく、客数減少の背景には値上げ以外の複数の要因が重なっていたことが分かってきました。値上げ直後の急落だけを見て「値上げは失敗だった」と単純化するのは早計だったというのが、後年の一般的な見方です。
この事例が教えてくれるのは、「売上に関わる大きな意思決定は、短期的な数字の動きだけで成功・失敗を判断してはいけない」ということです。パタゴニアやエル・ブジの判断も、実行した直後の数字だけを見れば「売上を減らす愚かな選択」に映ったかもしれません。
反面教師:安易な変更がブランドを裏切った「ニューコーク」事件
逆に、「変えるべきではないもの」を変えてしまった有名な失敗例も紹介します。1985年、コカ・コーラ社は15年間売上が横ばいだった主力商品コーラの味を、ペプシに対抗するために変更し、「ニューコーク」として発売しました。20万人規模の大規模な味覚テストでは新しい味が好まれるという結果が出ていたにもかかわらず、発売直後から全米で猛烈な抗議が起こり、わずか2ヶ月半後には旧来の味を「コカ・コーラ クラシック」として復活させる事態に追い込まれました。
パタゴニアやエル・ブジの判断との決定的な違いは何でしょうか。パタゴニアとエル・ブジは、自社が大切にしてきた価値観や哲学に忠実であろうとした結果として、あえて売上や規模を追わない選択をしました。一方のニューコークは、顧客が愛着を持っていた「変えてはいけない核」そのものに手をつけてしまいました。数字上の合理性(味覚テストの結果)を優先し、顧客の感情的な結びつきを軽視した点が、致命的な違いです。
中小企業がこの発想を取り入れる前に確認すべきこと
ここまでの事例をふまえると、「あえて売上を追わない」判断が機能するのは、次のような条件がそろっている場合に限られると考えられます。
1つ目は、既に十分な需要とブランドへの信頼があること。パタゴニアもエル・ブジも、あえて動かなくても支持者が離れない土台をすでに持っていました。2つ目は、変えようとしているのが「表面的な数字」であって、顧客が愛着を持つ「核」ではないこと。ニューコークはこの境界線を越えてしまいました。3つ目は、短期的な数字の落ち込みに耐えられるだけの財務的な余力と、それを乗り越えた先の狙いが明確であることです。
逆に言えば、需要がまだ乏しい段階の会社が売上を追わないことを正当化する理由にはなりません。多くの中小企業にとって本当に必要なのは、「あえて売らない」演出ではなく、まず選ばれる理由をきちんと作り、その上で正直に価値を伝えていくという地道な積み重ねです。
まとめ:数字を動かす前に、何を大切にしたいかを決める
パタゴニアやエル・ブジの事例は、「売上を追わない勇気」が結果としてブランドの価値を高めることを示しています。一方で鳥貴族やニューコークの事例は、価格や商品という「数字に直結する変数」を動かす判断が、短期的にも長期的にも大きな影響を及ぼすことを教えてくれます。
大切なのは、目先の売上を増やすか減らすかという二択ではなく、自社が何を大切にし、顧客にどんな価値を届けたいのかを先に決めることです。その軸が定まっていれば、数字が一時的に落ち込んだとしても、それが正しい判断だったかどうかを見極められます。
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