合同会社謙虚 代表社員
中野 輝規
なかの てるのり
「いい商品なのに、サイトからは何も起きない」。そう言われて呼ばれることが、いちばん多いです。
このページは、会社サイトの自己紹介としては長すぎます。承知の上で、削りませんでした。ここまで読みに来てくださる方は、私がどういう人間かを確かめに来ています。それなら、出し惜しみをするほうが失礼だと思うのです。
先に結論だけ置いておきます。私は「売れない商品を売る側」に20年いました。商品の力で勝った経験は、一度もありません。そのかわり、商品の話をやめた途端に売れる、という経験を2度しています。1度目はレンタルビデオの営業で。2度目は広告の営業で。いまの仕事は、この2度の経験をお客様のサイトの上で再現することです。
順を追ってお話しします。
20代のはじめ
書くことがしたかった。
出発点は、営業ではありません。もともと私は、書く仕事がしたい人間でした。最初になりたかったのは、テレビの構成作家。番組の企画や台本を書く仕事です。
一方で、大学は続きませんでした。2つ入って、どちらも中退しています。2つ目は2年通って、取れた単位が13。除籍を言い渡される前に、自分から退学届を出しました。手元に残ったのは、学歴ではなく「書きたい」だけです。
その「書きたい」を頼りに、構成作家の養成セミナーに通いはじめました。すると、講師をしていたディレクターが、ちょうど現場の人手を探していたのです。テレビの現場に入れる。願ってもない話でした。アルバイトを辞めて、その現場のAD(アシスタントディレクター)になりました。
現場は、想像とは違いました。肩書きはADでも、中身は雑用のすべてです。「これをあそこへ」と言われて運ぶと、届けた先で「ちょうどいい、これをあそこへ」と次の荷物を渡される。両手が空いている時間が、ほとんどありません。帰れない日は、スタジオのパイプ椅子を並べて寝ました。番組を書く人になるために入ったはずが、書くどころか、寝る時間すらないのです。やがて身体が音を上げて、辞めました。
しばらくは、日雇いの仕事で食いつなぎました。ある現場で汗だくになって動いていたら、先輩に怒鳴られました。「おい、そんな真面目に働くな」。真面目にやるほど疎まれる場所が世の中にはあるのだと、このとき知りました。
それでも、書くことは諦めていません。次は、脚本の学校に通いました。毎週、短いシナリオを書いて持っていきます。すると教室の中に、私の書くものを楽しみに待ってくれる人ができました。「次はこういう話が読みたい」と、リクエストまでもらうようになりました。手応えは、確かにあったのです。
ところが、賞には届きませんでした。フジテレビのヤングシナリオ大賞。テレビ朝日、TBS、WOWOWのコンクール。出せるものにはすべて出して、すべて落ちました。
目の前の読者には届くのに、顔の見えない審査員には届かない。いま振り返れば、この落差にこそ私の仕事の答えが埋まっていたのですが、当時の私は気づきませんでした。書く力が足りないのではなく、社会を知らないことが敗因だ。そう結論を出して、就職することにしました。
20代の半ば
電話帳と、ガムテープ。
就職したのは、映像関係の会社です。任されたのは、作品をレンタルビデオ店へ卸す事業の立ち上げでした。社会を知るために入った会社で、いきなり最前線に放り込まれたことになります。
ただ、この立ち上げには、入ってから知る大きな問題がありました。この会社はレンタル店に売った経験がないどころか、レンタル店に恨まれていたのです。以前はレンタルを認めない方針で、無断で貸し出す店があると通報が入り、営業が乗り込んで怒鳴りつけていたそうです。その記憶を持つ店主が、まだ全国に大勢いました。これから売り込みに行く相手が、こちらを恨んでいる。そこからのスタートです。
顧客リストはありません。手がかりは、電話帳だけでした。レンタルビデオ店の欄を上から順に、1日300件かけます。全国にレンタルビデオ店が1万2000軒あった時代です。かけてもかけても、終わりません。そのうち受話器を置く動作すら惜しくなって、受話器を右手にガムテープで固定しました。社名を名乗った瞬間に切られる。怒鳴られる。経緯が経緯なので当然だと思いながら、かけ続けました。
そうやって数年かけて、ようやく会ってもらえるところまでは行きました。
それでも、売上は伸びません。店が新作の仕入れに使える予算は毎月決まっていて、その限られた枠を、各メーカーの営業が取り合います。そして、うちの作品はどのメーカーの作品よりも弱かった。会えるようにはなった。でも、選ばれる理由が何ひとつなかったのです。
20代の終わり
あるバイヤーとの2時間。
そんな担当先のひとつに、30を超える店舗を展開するチェーンがありました。仕入れを決めるのは、本部のバイヤーです。毎月通って、新作の説明をします。今月はこれが目玉です、これが動きます。相手はうなずいて、発注書には先月と同じ数字を書く。1店舗あたり、月に2本か3本。それが何ヶ月も続いていました。
ある日、説明の途中でふと、相手の顔を見ました。
つまらなそうでした。
考えてみれば、当然です。この人が聞かされているのは、私の説明だけではありません。あらゆるメーカーの営業が毎月この席に座り、どの営業も「自社の新作こそ目玉だ」と言う。同じ形の売り込みを、何年も浴び続けてきた顔でした。
だったら、そこで差がつくはずです。全員がやっている商品説明を、一人だけやめる。どのみち商品の力では戦えないのだから、失うものもありません。翌月から、やめました。上司には言っていません。
かわりに話したのは、他社がいま何を仕掛けているか。業界に流れている噂。まったく関係のない映画のこと。あるときは、仕事とは別の悩みを、ただ聞いていました。気づけば2時間、3時間と経っています。相手はもう、つまらなそうな顔をしていませんでした。
彼にとって私は、大勢いる営業の中でただ一人、商品を売り込んでこない営業になっていたのです。
発注は、5倍になりました。1店舗あたり月に2、3本、チェーン全体でざっと100本だったものが、500本を超えた計算です。商品は、何ひとつ変わっていません。変わったのは、私が商品の話をやめたこと。それだけです。
このやり方を、他の担当先にも広げていきました。気づけば、社のトップ営業になっていました。
30代
一部上場の10年。
30代の入り口で、一部上場のIT企業に転職しました。売り物は、検索対策、Googleマップの表示対策、広告の運用代行。いま私がお客様の側に立って扱っているものと、ほぼ同じです。ここで約10年、営業だけをやりました。
入った当初、自信はありました。前の会社では、トップ営業だったからです。
その自信は、数ヶ月で折れました。同じように動いているつもりなのに、まったく売れないのです。商材も、客層も、商談の進む速さも、何もかもが前とは違いました。
売れない焦りから、恥ずかしいこともしています。知識の浅さを見抜かれるのが怖くて、商談を専門用語で塗り固めたことがありました。「UI/UXを抜本的に改善し、SEOのアルゴリズムに最適化して、CTRとコンバージョンレートを最大化するスキームをご提案します」。お客様は曖昧にうなずくだけで、話は最後まで嚙み合いません。逆に、強引に迫ったこともあります。「社長、いま出稿しないと競合に全部持っていかれますよ。今日決めてください」。これで契約が取れたことは、ほとんどありません。
観念して、頭を下げました。相手は、社のトップ営業マン。年下の、私の上司です。プライドが邪魔をしなかったと言えば嘘になります。ただ、売れない自分のやり方に付き合い続けるより、売れている人に教わるほうが早い。謙虚さを美徳ではなく損得の問題として理解したのは、このときが最初です。
教わった型を土台に、レンタル店の営業で覚えたやり方を重ねました。ひたすら聞く。こちらから決めにいかない。相手が「じゃあ、もらおうかな」と言うのを待つ。数字は、少しずつ戻っていきました。
忘れられない商談があります。目の前の社長が、いつまでも決めきれずにいる。よくよく聞いていくと、この方が恐れているのは、広告の失敗ではありませんでした。家に帰って、奥様に何と説明するか。それが怖くて、決められずにいたのです。だから、こう言いました。「万一うまくいかなかったら、強引に勧めた中野という営業のせいにしてください」。社長の肩がすっと下がり、その場で判を押してくださいました。人は理屈で動くのではなく、安心してから動くのです。
営業は、およそ50人いました。その中で、月間粗利の全社1位を2回。年間でも、上位5人に入りました。10年で関わった中小企業は、通算で数千社になります。
商品を前に出さないほうが、売れる。業界を変えて2回、同じ結果が出ました。ここまで来ると、もう偶然とは呼べません。
40代
技術はあるのに、伝わっていない。
営業を20年やったところで、父の会社に後継候補として入りました。製造業向けの機械をつくる、小さな会社です。小さいながら、日本とアメリカとヨーロッパで特許を持っています。
技術は、本物でした。それなのに、売れ行きはその技術に見合っていません。なぜか。1年、内側で働いてよく分かりました。この業界の商売は、いまもFAXと商社経由が中心です。作り手の言葉がお客様へ直接届く場面が、そもそもありません。しかも、技術のある会社ほど、技術の話をしてしまいます。聞かされた側は「それはうちの何を解決してくれるのか」が分からないまま、帰っていきます。
いい商品なのに、伝わっていないから売れない。構造は、私が20年見てきたものと同じでした。ただ、今回ばかりは、それを変える手段が私にありません。私にできるのはデジタルの集客で、FAXと商社の世界には出番がなかったのです。考えた末に離れることを決めて、引き継ぎの段取りを整え、次に進みました。
2022年11月
血尿。
会社を離れると決めた、その矢先でした。健康診断の尿に、血が混じったのです。一度きりでした。
念のため検査を受けると、MRIもCTも血液検査も、すべて異常なし。数字の上では、健康体です。それでも「血尿が出た」という事実だけは、消えません。2023年1月、膀胱鏡の検査を受けました。カメラが、腫瘍を映しました。
2月に手術。摘出した組織を調べて、初めてがんだと確定しました。手術台に上がった時点では、自分ががんかどうかも分かっていなかったことになります。
放置すれば命に関わる可能性があり、膀胱をすべて摘出する可能性もありました。早く見つかったので、どちらも免れています。もしあのとき「機械が全部異常なしと言っているのだから大丈夫だろう」と検査をやめていたら、いまこの文章はなかったはずです。
2023年8月29日、合同会社謙虚を設立しました。3ヶ月ごとの検査と並走する起業です。
2024年6月に再発が見つかり、7月に2度目の手術。8月から11月までは、膀胱に直接薬剤を注入する治療に、ほぼ毎週通いました。仕事は、止めていません。15分おきにトイレへ立ちながら、打ち合わせをしていました。
【闘病記】血尿は一度だけ…『膀胱がん』の地獄
たった一度の血尿が、がん発見の糸口に――。2022年の健康診断を機に、「膀胱がん」が発覚した中野さん。将来、子どもを持つ夢を守るため手術を決断しますが、術後には激痛と闘うBCG治療の「地獄」が待っていました。(記事抜粋)
いまも、定期検査に通っています。命に期限があることを、知識ではなく身体で知っている。その状態で毎日、仕事をしています。
独立1年目
焼肉の味がしない。
独立して初めて、まとまった売上が入った日のことは、よく覚えています。嬉しくて、少し見栄を張って、一人で高い焼肉屋に入りました。
ところが、まずいはずのない肉の、味がしません。理由は、食べている途中で分かりました。通帳の数字が増えただけで、誰にも「ありがとう」と言われていなかったからです。
売上は目的に見えて、実は結果でしかない。頭では分かっていたつもりのことを、舌で思い知った夜でした。
謙虚
社名にした理由。
20年の営業で、唯一確信できたことがあります。売り手が主役の座を降りたときにだけ、ものは売れる。会社をつくるとき、この確信を一語に圧縮して社名にしました。「謙虚」です。
2026年には、この考え方を1冊の本にまとめました。『売れるサイトはみな謙虚 最初にやるべきはブランディングではなくマーケティング』。全60話、21万文字。AIを使い倒して、およそ1ヶ月で書き上げました。
本が出たとき、サイトに「21万文字の専門書の著者」と大きく載せる案がありました。やめました。「売れるサイトはみな謙虚」と書いてあるサイトが、著者の肩書を自慢する。その瞬間に、ページ全体が嘘になるからです。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言います。ただ、人間は放っておけば、必ず傲慢に戻る生き物です。私も例外ではありません。だから、社名にしました。名乗るたびに、嫌でも思い出すからです。
いま
だから、自社語りをやめてほしいのです。
2025年7月、長女が生まれました。
座右の銘は「死ぬ瞬間を人生のピークに持っていく」です。がんを経てから、この言葉は他人事ではなくなりました。ピークを最後に置くと決めたのなら、今日の自分は昨日より、1ミリでも先にいなければなりません。
いまの仕事は、お客様のサイトの言葉を書き換えることです。制作会社は「作り直しましょう」と言います。数百万円かかります。広告代理店は「広告費を増やしましょう」と言います。毎月かかり続けます。その「広告費を増やしましょう」を10年売っていたのが、私です。
だから、断言できます。売れない原因の多くは、そこではありません。サイトの主役の座を、お客様に譲っていないことです。あのバイヤーの前で商品説明をやめた日と同じ構造が、あなたのサイトの中にもあります。
略歴
- 生年月日
- 1977年12月15日
- 出身
- 母の実家がある佐賀県で生まれ、育ちは東京
- 血液型
- A型
- 趣味
- 音楽鑑賞(フェス好き)、映画鑑賞
- 好きな言葉
- 死ぬ瞬間を人生のピークに持っていく

プロンプトエンジニア認定/Google AI Essentials 修了
ここまで読んでくださった方へ
ここまで読んでくださったなら、話は早いはずです。オンラインで1時間、御社のサイトをお客様の側から一緒に読みます。第1回は無料で、その場で契約をお願いすることはありません。
まず自分で確かめたい方は、30秒の無料診断からどうぞ。
プログラムの中身を先に読みたい方は、「売れるサイトはみな謙虚」のご案内へ。
